富十郎さん一世一代『船弁慶』後。雲助師匠と武智歌舞伎塾。

学生時代、それまでポップな歌舞伎を中心に観ていたアタシが度肝を抜かれたのが、故・中村富十郎さん一世一代の『船弁慶』。

それまでは、当時よくマスコミで取り上げられていた先代勘九郎さんのコクーン歌舞伎・平成中村座・納涼歌舞伎などを中心に見ていました。

ある日、人間国宝が、得意な演目のやり納めをするらしい、そう新聞で読んだアタシは、軽い気持ちで『船弁慶』を観に行きました。
舞踊なので、よく意味はわからないものの「何だかスゴいものを見た!」と感激し、幕見席で何度も通ってしまいました。

それからは古典歌舞伎にすっかりハマってしまい、毎月歌舞伎座に通う様になりました。もちろん学生ですから三階B席かさらに後ろの幕見席。卒論も歌舞伎で書きました。

好きな役者は中村富十郎さんと、やはり亡くなった十代目坂東三津五郎さん。お二人共踊りの名手で、派手ではありませんが古典の真ん中の方。
富十郎さんは台詞がハッキリと聞き取りやすいことで定評があり、それこそ志ん朝師匠のことを書いた物の中で「志ん朝はまるで中村富十郎のように滑舌が良い」と、名前を出される程。

三階席まで良く声も届き、貧乏学生にもありがたい役者さんでした。

そんな富十郎さんの芸の礎を作った一人が武智鉄二。

戦中・戦後のお金持ちで、歌舞伎・文楽・能狂言、様々な古典芸能のパトロンとしても有名な方。

歌舞伎再検討として演出を見直すべく旗揚げした「武智歌舞伎」で坂田藤十郎さんと共に主力だったのが富十郎さん。
武智の口利きで色んなジャンルの名人にお稽古をつけてもらったことが大きかったのでしょう。

ちなみに雲助師匠も二つ目の頃に、武智歌舞伎塾に通っていらしたそうです。

武智の著作等を読むと、その理詰めの分析力に驚かされるのですが、雲助師匠の演出にも同じ分析力を感じた私は、ある時、

「武智歌舞伎塾は師匠にとってどんな所でしたか?
歌舞伎や義太夫の演出的な読み方は、師匠の芸に影響されていますか?」

と伺ってみたんです。
「ん~」と暫くお考えになった後で

「どうだろう。でもあの人、俺たちの前で実際に義太夫を語りたがるから弱ったよ。それよりも演劇とか色んな世界に知り合いが出来たことの方が大きかったかな」

と仰っていました。

でもやっぱりアタシは影響があると睨んでいます。

そんな事を思い出しながら「武智歌舞伎」を読んでます。

 

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